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  • ①日本庭園の特徴-自然石を使った石組

    世界の庭園の中で、日本庭園の顕著な特徴の一つが石の扱いであろう。ほとんど加工されていない自然石を用いている。角張った山石、角の取れた川石の使用例が多く、時にはほとんど丸くなった海石も使われることがある。色合いも様々。日本は山岳国なので、石の種類も豊富で、見た目の変化も多様。それらの石を加工せず、採取された状態のままで選び使用される。作庭場所の近辺から採取されることもあれば、多大な労力と費用をかけ遠くから運ばれることも少なくない。

    その石を用いて、自然景観を写し表現する場合もある。山や川、滝、海岸線等を実写的に表される。また、石垣としても使われる。
    最も特徴的なのが、自然石を用いた抽象表現。抽象表現の例として、京都の竜安寺石庭が世界的にもよく知られている。殆ど真っ平らな平庭にポツポツと15個の石が配置されているだけ。あとはわずかな苔と白砂。石もさほど大きくはない。抽象表現故に、様々な解釈が可能で、この解釈を巡って本も沢山、出版されているほどだ。どれが正しいというものでもない。様々な解釈が可能としても、作庭者が何らかの意図を持って、石を組んだことには違いがないだろう。

    京都府・竜安寺

    (写真-01 京都府・竜安寺石庭-様々な解釈がされている)


    抽象的表現の石組のある庭園は禅宗の寺、それも臨済宗の寺に多い。それ故に、抽象表現された石組を、仏教的に解釈されることが多い。それぞれの石を仏像と対比して解釈したり、仏教的世界を表すし、須弥山等の表現と見る場合もある。あるいは、自然景観の抽象表現と解されることも少なくない。水の流れ、海の景色、雲海に浮かぶ山々等々。あるいは、臨済宗の公案に基づくと解釈されることもある。

    京都府・龍源院

    (写真-02 京都府・龍源院・北庭-須弥山石組とされている)


    また、道教の神仙思想に基づく不老不死の世界の表現と解釈される場合も少なくない。蓬莱島、鶴島、亀島等と名付けられた石組は実に多い。

    岡山県・頼久寺庭園

    (写真-03 岡山県・頼久寺庭園 手前が鶴島、奥が亀島とされている)


    抽象表現故に、いかような解釈も可能ではあるが、僕は仏教的解釈や神仙思想的解釈に疑問を感じている。僕は自分自身でも石組をするが、仏教的あるいは神仙思想的な意識をもって石組をすることが、どうしてもできない。それ故、我流で石組をしていた。そして相当量の石組をこなし、それなりの評価も得ていた。 ある時、神が内在、あるいは寄り付くとされる磐座(イワクラ)と呼ばれている石に出会った。一個の巨石であることもあるし岸壁であることもあるが、多くは複数の石で組まれている。明らかに天然自然と思われる磐座もあるし、人が造ったとしか思えない磐座も少なくない。磐座は日本国中に散在している。世界中にある太古の巨石文化とも関連があるうに思える。 磐座を数多く見てゆくと、僕の造る石組と共通性を感じてしまう。また、日本庭園の石組を解釈するうえでも、磐座を念頭に置きながら感じる方が、僕にとっては分かりやすい。

    熊本県南小国町の阿蘇山中にある押戸石

    (写真-04 熊本県南小国町の阿蘇山中にある押戸石


    奈良県山添村の神野山頂上付近の磐座

    (写真-05 奈良県山添村の神野山頂上付近の磐座)


    庭園石組と磐座とではまるでスケールが違うが、そのスピリットや美意識に人の内面から立ち昇る何ものかを感じてしまう。それはまた、神仏と人とのつながりでもあるように思える。 日本庭園の石組については旧来、様式分類によって解釈されてきた。しかしここで、磐座からインスピレーションを受けた解釈も成り立つことを示したい。それは、人の内面にある石への想い、石を通して神仏とつながりえるという意識だ。言い換えると、天地人のつながりでもある。



    ②日本庭園の借景は聖地

    日本庭園には、庭外に広がる景観を庭園の鑑賞対象として取り入れる借景庭園が多い。現在では、庭園を取り巻く環境が変化して、その借景としての景観が見えなくなっている所も少なくない。竜安寺石庭も元は借景庭園であったともいわれている。しかし現在、竜安寺石庭の借景であった石清水八幡宮のある男山を望むことは出来ない。

    京都市北部の郊外に円通寺庭園という借景で有名な庭園がある。現在は臨済宗の寺であるが、元は江戸時代初期、後水尾天皇の山荘として造営されたといわれている。庭園は典型的な平庭で、低く抑えられた石組と苔によって構成されている。庭園は視界を遮らない程度の低い生垣によって、内外が区切りされている。生垣近辺に杉の巨木とモミジがあり、秋の紅葉の季節の美しさが評判である。しかし、この庭園で最も際立っているのは、東側に見渡せる比叡山ではあるまいか。比叡山の景観故に、円通寺庭園は借景庭園として評価されている。

    京都府・円通寺庭園

    (写真-06 京都府・円通寺庭園 中央に比叡山が望める)


    座敷の中央に座ると、ほぼ真東に円錐形の比叡山が望める。比叡山は単なる美しい風景ではない。古来、京の都を守る聖山とされてきた。高名な寺、延暦寺も建立されている。また毎日、朝日が昇り、月も昇る。

    京都府・円通寺庭園

    (写真-07 庭園中央部の盤陀石)


    庭園の中央部には「盤陀石」と名付けられた不思議な石がある。この石はこの庭園が造られる前から、この地にあったものとされている。石は平らな頭を少し出しているだけだが、深く埋められているともいわれている。ということは、この盤陀石と名付けられた石は磐座であった可能性が極めて高い。石組のほとんどが、この石の向かって左手(北部)に組まれている。右手の奥にある石組も低く組まれている。石組全体も低く組まれているのも、この埋められた盤陀石の重要性を示しているのではなかろうか。

    京都府・円通寺庭園

    (写真-08 座敷中央部から盤陀石と比叡山を見る)


    座敷中央部からほぼ寝転ぶような視線から、盤陀石と比叡山の対比を見ると興味深い。
    比叡山はこの方向から見ると、その頂上付近が綺麗な円錐形になっている。一名「都富士」と呼ばれるのもわかる。このような円錐形の山は、日本のいたるところに散在している。そしてそのほとんどが神宿る聖山とされている。
    盤陀石とその向こう側にほぼ南北に平たく据えられた石は、比叡山の神を招き、座敷の真中に座る後水尾天皇自身の意識も石の上に送り、神と相対し祈るという意味が込められてはいないだろうか。そう思うと、この庭園は単なる鑑賞本位の庭園ではなく、大いなる存在とつながることを意図していると思われる。前面に広がる借景も単なる風景ではなく、聖地の遥拝を意味している。したがって、人の作為を越えた美しさが秘められ、人々の感動を呼ぶのであろう。

    日本の借景庭園のほとんどは、聖地遥拝の場と見てよいのではないだろうか。

    このような借景を取り入れた庭園をヨーロッパでも見た。それは、イタリアのトスカーナ地方のピエンツァ(Pienza)にピッコロミニ(Piccolomini)宮殿の庭園。

    ピッコロミニ宮殿の庭園と借景

    (写真-09 ピッコロミニ宮殿の庭園と借景 2階バルコニーより)


    ピッコロミニ宮殿の庭園はルネサンス期に造られたとされている。典型的な田の字型のフォーマルガーデンに外側の風景が取り入れられている。高い塀にも三か所大きな窓が開けられ、庭園内からも外の風景が見られる。その風景の中心にあるのが、円錐形の山。この山が聖山かどうかは調べていないが、円通寺の借景庭園と同じような意識が感じられて興味深い。

    借景庭園の借景として取り込まれている風景は、単なる風景ではなく、そこは聖地であり、聖地であるが故に、それを遮ることなく、庭園内と呼応しつつ遥拝するように構成されているのではなかろうか。



    ③僕自身の経験した借景庭園

    現在の日本で、上記したような借景庭園を造ることは、極めて困難になっている。僕は和歌山県の北部、漁港のある加太地区で、借景庭園を造るという幸運を得た。
    そこは、海抜50mばかりの丘陵にある別荘で清風山荘と名付けられている。西側が海で、島もある。入日の夕焼けの美しい場所でもある。
    西側に展開する海は大阪湾の南部で、手前に友ヶ島、その向こうに淡路島が見える。友ヶ島は修験道の聖地であり、多くの行場がある。淡路島は日本神話における国生みの場所であり、島内には多くの磐座がある。こちら側からは友ヶ島に隠れて見えないが、神島と呼ばれている小さな島があり、勿論、聖地とされている。
    また、周辺の海は優れた漁場であり、大阪湾に出入りする船舶も多い。

    この別荘地には、元々庭園があった。しかし、せっかくの風景の多くが遮られる状態になってしまっていた。僕はその庭園の改造を行った。
    まず、別荘の上部にある峰から岬に向かって、構造的にも視覚的にもつながるようにした。これで、全体のスケール感が増した。さらに、海側に向かって視界を遮るものを、極力取り除いた。それによって、海と島々が良く見え、夕日を堪能できるようになった。

    和歌山県・清風山荘庭園

    (写真-10 和歌山県・清風山荘庭園と借景)


    積極的に余分な要素を取り除くという造形は、現状をよく認識するとともに、より研ぎ澄まされた精神力と、自我を極力そぎ落とさないと可能ではない。余分な要素を取り除いて初めて、その庭園と眼前に展開する景観とが一体となる。しかもその景観は聖地。そのような意味で、清風山荘ほど満たされる空間は、そうざらにはない。

    和歌山県・清風山荘庭園

    (写真-11 眼前に展開される神秘的な夕日、これは3月初旬)


    眼前に展開される、夕日の光景は、季節により、天候により様々な展開を見せる。また、満月の日などは、海が銀板となって輝く。しかも、果てしない大海ではなく、聖地としての島々がそこにある。そして、人がかかわった庭園が身近にあって、それが呼応する。それが、感動を呼びかつ美しい。



    ④日本庭園の鑑賞

    日本庭園は世界的にも興味を持たれているようで、日本文化の一つとして紹介されている。内外を対象にした、ガイドブックも多数出版されている。それらの鑑賞の手引きは、作庭時の時代背景や、様式論に終始しているように思える。
    ガイドブックは予備知識として参考にしても、実際に鑑賞する時には、そのすべてを忘れ去り、無垢な気持ちで鑑賞されることを、お勧めする。眼前に展開されている景観を受け入れ、自身の中から湧き上がる無垢な思いで鑑賞すれば、自身と呼応した感動が呼び起されるのではないかと思う。


    僕自身、作庭家として、この文章を書くにあたって、現地にも赴き、いろいろな資料を参考にはしたが、自身の経験と体感による無垢な目で鑑賞することが、最上の喜びであると実感した。

    (掲載写真は全て武部正俊撮影)


     

     







    【武部正俊オフィシャルブログ】
    「火(ホ)と「ニワ」と鍋釜」

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