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  •  僕は1943年生まれで現在70歳。後期高齢者といわれる年齢になってしまった。
    22,3歳の頃、突然庭を造る羽目になってしまった。それは唐突に始まった。
    当時、僕は関西大学二部(夜間部)の文学部哲学科の学生で、それまで勤めていた会社を辞めた時だった。
    (このあたりの理由を話すと長くなってしまうのでやめておく。)
    当然、何の知識も技術もない。誰かの下について庭を造るというのではなく、
    何の経験もない僕自身がいわば親方となって庭を造らねばならない。
    唐突に始まった仕事だがいまわ天職だと思っている。


     当時、一般的な造園屋、植木屋といわれる方達が造っていた庭にはなぜかなじめなかった。
    同じことをしても技術的にもかなうわけもない。それでその人達のやってない方法でやってみた。
    その一つがいわば「雑木の庭」だった。仕入先にはそのような樹木はほとんどなかった。
    その頃は山の中に住んでいたので近くの雑木山から掘り出して使ってみた。当時は刈込が主体だったがなぜか好評だった。
    この頃流行り出したばかりのハナミズキなども使ってみた。
    自然樹形の樹木を多く使うと、足元が平戸つつじやサツキの刈込だけではどうも合わない。
    そこで草物を植えてはどうかと思って、草花なども植えてみた。これが好評をはくした。
     また一方、重森美玲の石組みにも憧れていた。すぐに真似だけではだめだと気が付いた。
    そして石をどう扱うかが僕の課題となった。


     当時、ニュータウンができ建築ラッシュ。
    仕事は切れることなくあったが、僕自身なぜ庭を造っているのかというバックボーンがない。
    それまでに、庭に興味を持っていたとか庭が好きだったということもない。造るということ自体は面白かったのだが、僕がなぜ庭を造らねばならないのかという理由がどこにもない。
    食うために惰性で仕事をしたくはなかった。ただただ無心で作るということができなかった。
    そこで「人はなぜ庭を造るのか?」あるいは「人は庭をなぜ造らねばならないのか?」という理屈を探し求めた。
     庭の歴史についても多少調べてみた。歴史的な記録で最も古いものでもそこには大庭園がすでにあった。
    だがその先が分からない。教科書的に書かれていることもある程度理解できてもどうもしっくりこない。
    それで独自の路線で調べ、考えてゆくことにした。これがどうも僕の性らしい。


     20数年前、Gardening研究会というプロを対象とした「ニワ・庭」を考える会を立ち上げた。
    大阪の鶴見緑地で開催された花博の後で、花に注目が集まっていた。
    しかし、いわゆる作庭家、造園家と呼ばれる方達はなぜか植物のことをあまり知らない。
    また園芸家と呼ばれる方達は植物の知識は豊富だが庭全体のデザインが得意ではない。
    ところがイギリスを中心としたヨーロッパやアメリカなどでは多彩な植物や花があふれた庭・Gardenが造られている。Gardeningという言葉で植物の知識とデザイン力が両立されていた。
    Gardenという名詞に現在進行形のingがついているのも面白いと思った。
    庭と植物、そして原初の「ニワ」を求めて「Gardening研究会」という名前を付けた。
    当時、Gardeningという言葉はまだ普及していなかったが、瞬く間にガーデニング・ブームなるものがやってきて、
    いたってポピュラーになった。そのガーデニング・ブームの時は女性会員が増え、40名を超える時もあった。
    ブームが去ると、会員は減り常連の十数名で細々と続けていた。
    主に僕がテーマを決め話すのだが、内容は充実したものになっていった。


    数年前から意欲ある若者が入ってきた。多くは「ニワプラス」というグループの若者だった。
    そのニワプラスからの依頼でGardening研究会とは別の講演会も行われた。
    そのテーマが「人はなぜ庭を造るのか?」で三回シリーズとなる。一昨年、昨年とすでに二回行われ、今年三回目を開催予定。それに先立って、僕の考えていることや、やってきたことをニワプラスのホームページに書いてほしいとの依頼が持ち上がった
    僕は今までホームページもブログも作っていない。
    インターネットの影響力と重要性は知っているが、今まで全く何もしてこなかった。
    鞭打たれる気持ちで、やっと重い腰を上げ、今年からインターネット上にアップロードすることにした。
    そしてついに2014年1月1日からブログも書き始めた。どれだけ続くかわからないが、今まで経験してきたこと、
    感じてきたこと、考えてきたことなど、ぼちぼち書いてゆこうと思う。


    これから書いてゆくことを参考にしてもらっても構わないが、決して断定的なことではない。
    僕は絶対的真理など存在しないと思っている。絶対と絶対がぶつかると争いになる。
    多様性を許せてこそ人の文化ではないだろうか。そして、それを成してきたのが日本の文化であったのだと思っている。
    結論付けない、これは絶対だと思ってもさらにその先がある。最先端の理論物理学などもそうだ。
    いつもその先があるから人が人でおれる。

    それだから人生面白い。


    【武部正俊オフィシャルブログ】
    「火(ホ)と「ニワ」と鍋釜」

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